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大阪地方裁判所 昭和55年(ワ)617号 判決 1981年4月21日

原告(昭和五五年(ワ)第四六〇号事件被告)

光岡秀子

右訴訟代理人弁護士

片山久江

被告(同事件原告)

エアポート株式会社

右代表者代表取締役

河崎久子

右訴訟代理人弁護士

植原敬一

小湊収

主文

一  被告(昭和五五年(ワ)第四六〇号事件原告)は原告(同事件被告)に対し金一二万四八〇〇円及びこれに対する昭和五五年二月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告(同事件被告)は被告(同事件原告)に対し金三五万三一三〇円及びこれに対する昭和五四年一〇月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告(同事件被告)の被告(同事件原告)に対するその余の請求を棄却する。

四  被告(同事件原告)の原告(同事件被告)に対するその余の請求を棄却する。

五  訴訟費用はこれを四分し、その三を原告(同事件被告)の、その余を被告(同事件原告)の各負担とする。

六  この判決は第一、二項につき仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  昭和五五年(ワ)第六一七号事件請求の趣旨

1  被告(昭和五五年(ワ)第六一七号事件原告。以下単に被告と略称する)は原告(同事件被告。以下単に原告と略称する)に対し金三九万一三七〇円及びこれに対する昭和五五年二月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言。

二  右請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

三  昭和五五年(ワ)第四六〇号事件請求の趣旨

1  原告(昭和五五年(ワ)第四六〇号事件被告。以下単に原告と略称する)は被告(同事件原告。以下単に被告と略称する)に対し金三五万三五三〇円及びこれに対する昭和五四年一一月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  仮執行の宣言。

四  同請求の趣旨に対する答弁

1  被告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

第二当事者の主張

一  昭和五五年(ワ)第六一七号事件請求の原因

1  原告は、昭和五三年一二月一六日、被告に、被告の経営する大阪市北区曾根崎新地一の三〇所在のクラブ「エアポート」のホステスとして期間の定めなく左記(一)、(二)の賃金の約定にて雇傭された。

(一) 原告の一日の売上げ金のうち、飲食代金額(以下売上げ小計と称する)が金二〇万円以上二五万円以下の場合は日給を八〇〇〇円とし、売上げ小計が金五万円増加する毎に日給も二〇〇〇円ずつ増加する。

(二) その他口座料(指名料)の払戻し及び報奨金等を加える。

2  被告は、同年同月二一日、突然原告に対し、同日から賃金体系を改定する旨言渡した。

改定後の賃金体系によれば、売上げ小計が金五〇万円以上六〇万円以下の場合は日給が一万七〇〇〇円に減額されることになる(従前の賃金体系によれば、売上げ小計が金五五万円以上六〇万円以下の場合は日給が二万二〇〇〇円であった)。

3  原告は、既に自分の顧客に案内状を発送し終えたところであり、右顧客に対する信用を保つうえから急に被告を辞めることもできなかったので、右改定につき被告に再々抗議をしたが、話し合いがつかなかった。

4  そこで原告は、昭和五四年八月二七日、被告を退職した。

5  原告は、被告に対し、旧賃金体系と新賃金体系との差額の未払賃金九万三〇〇〇円及び昭和五四年八月、九月分賃金(別紙一覧表(略)の売上げ代金に対する口座料払戻し及び報奨金を含む)計金一五万一五〇〇円、合計金二四万四五〇〇円の賃金債権を有している。

6  また、原告は、その顧客に対する売上げ金を毎月二〇日締切で集金し、未集金分も含めて右締切日から六〇日後までに被告に支払うことになっていた。なお売上げ金には前記売上げ小計の外、口座料(指名料)、サービス料、テーブルチャージ等が含まれる。

原告は、被告に対し前記の未払差額賃金の支払を求めていたが、被告は言を左右にしてそれに応じないので、原告は、被告に対し右未払差額賃金の支払があるまで売上げ集金分を預っておく旨伝えたところ、被告はそれを了承し、話し合いを続けていたが、被告は原告に無断で、既に原告において集金済みの顧客に対して請求書を郵送したため、原告は、それに驚いた顧客から抗議を受け、それにより著しく信用を毀損されたうえ、被告により突如大阪地方検察庁に横領被疑事件で告訴され、年の瀬もおしつまった忙しいさなかである昭和五四年一二月、二回にわたり検察庁に呼び出され、多大な精神的苦痛を被った。それを慰謝するには金五〇万円を下まわらない。

7  原告は、その顧客から集金した売上げ金三五万三一三〇円を預かっている。

8  原告は、本件訴状の送達をもって、前記5の賃金債権金二四万四五〇〇円と前記6の損害賠償請求債権金五〇万円との合計金七四万四五〇〇円の債権を自働債権とし、前記7の売上げ金返還請求債権を受働債権として、対等額において相殺する旨の意思表示をした。

9  よって、原告は被告に対し、前記5、6の債権合計金七四万四五〇〇円から前記7の金額を控除した残債権金三九万一三七〇円及びこれに対する本件訴状送達日の翌日である昭和五五年二月八日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  同請求の原因に対する認否及び被告の主張

1  同請求の原因1の事実は認める。

2  同2の事実は認める。

3  同3の事実は否認する。

4  同4の事実は認める。

なお、原告は、新たな勤務先がみつかったため被告を退職したものである。

5  同5の事実は否認する。

6  同6の事実中、原告が顧客に対する売上げ金を集金し、締切日から六〇日後に被告に支払うことになっていたとの点は否認する。売上げ金はすべて被告の口座に振込むことになっており、原告はその請求書発送を事実上行なうにすぎず、また、顧客から右口座に締切日より六〇日以内に振込まれたときは、被告から原告に対して売上げ小計の一〇パーセントの報奨金が支給されることになっていたにすぎない。原告に支払うべき賃金はすべて支払済みである。

同6の事実中、被告が原告を横領被疑事件で告訴したことは認める。

同6のその余の事実は否認する。原告は前記賃金体系の改定について被告に対して異議を述べたり、賃金差額の支払を求めたりしたことはなく、原告には顧客から売上げ金を集金する権限はなく、被告は原告に対し売上げ金を預ることについて了承したこともない。被告は、顧客からの振込みがないことに不審を抱き、顧客に対し問合わせをしたところ、原告が被告の請求書用紙の銀行振込依頼欄を原告自身の名義の口座に書き換えて変造し、売上げ金合計金八五万三一三〇円を不法領得していることが判明したので、右告訴に及んだものである。原告は、昭和五四年一二月一七日、被告に対し、右売上げ金のうち金五〇万円を支払った。

7  同7の事実中、原告において被告に返還すべき売上げ金の残金が金三五万三一三〇円であることは認めるが、その余の事実は否認する。被告は原告に右金員を預けたことはない。

8  同9は争う。

9  被告は、本件賃金体系の改定をするについては、昭和五三年一二月一八日、被告の店内の更衣室掲示板にその旨を掲示したうえ、同日、被告の代表者から原告を含む従業員に対し、右改定に異議のある者は申し出るよう口頭で伝えたが、原告や他の従業員から異議を申し出ず、原告や他の従業員は、右改定後、給料簿に各自押印して改定後の賃金体系による賃金を異議なく受領した。

三  昭和五五年(ワ)第四六〇号事件請求の原因

1  被告は、クラブの経営を主たる目的とする株式会社である。

2  原告は、昭和五三年一二月、被告にホステスとして雇傭され、昭和五四年九月五日、被告を退職した。

3  被告は、別紙一覧表顧客名欄に記載の顧客に対し、同表売上代金欄に記載の売掛金債権を有し、その支払は、各顧客から被告の指定する被告名義の銀行口座に振込入金する方法によるものであったところ、相当期間を経過してもその入金がなされなかったので、被告においてその調査をしたところ、原告は、被告に無断で、右顧客に対し右売上げ金の支払を原告の銀行口座に振込むように変更したうえ、昭和五四年六月末日から同年九月末日までの間右一覧表のとおり売上げ金全額を原告の銀行口座に入金させてそれを取得していることが判明した。

4  原告の右行為は、被告の右顧客に対する債権を不法に侵害するものであり、それにより被告は右と同額の損害を被った。なお右金額と原告が預っていると主張する金三五万三一三〇円との差金四〇〇円は、別紙一覧表の顧客斉藤絢市がその売上代金四万八九九〇円を振込む際、振込手数料金四〇〇円を控除して振込んだことによって生じたものである。

5  そこで、被告は原告に対し右金八五万三五三〇円の支払を求めたところ、原告はその非を認め、昭和五四年一二月一七日、被告に対し右の内金五〇万円を支払ったが、残金三五万三五三〇円の支払をしない。

6  よって、被告は原告に対し、右損害金の残金三五万三五三〇円及びこれに対する不法行為の後である昭和五〇年一〇月一日から右支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

四  同請求の原因に対する認否及び原告の主張

1  同請求の原因1の事実は認める。

2  同2の事実は認める。

3  同3の事実は否認する。

4  同4の事実は否認する。

5  同5の事実中、原告が昭和五四年一二月一七日被告に対し金五〇万円を支払ったことは認めるが、その余の事実は否認する。

6  同6は争う。

7  別紙一覧表記載の顧客についての売上げ金は、当初から原告名義の銀行口座に振込まれていた。それは、昭和五五年(ワ)第六一七号事件請求の原因6のとおり、原告がその顧客に対する売上げ金を毎月二〇日締切で集金し、未集金も含めて右締切日から六〇日後に被告に支払うとの雇傭契約に基づくものであった。

原告は、未払賃金額をめぐって被告と抗争中被告を退職したので、被告に対し、右未払賃金の支払があるまで売上げ金の集金分を預っておく旨伝え、被告は、これをやむを得ない旨了承し、右未払賃金についての話し合いを継続した。

しかるに、被告は、原告に無断で原告が集金済の顧客に対し請求書を発送したり、突如として原告を告訴して、原告の信用を著しく毀損した。

第三証拠(略)

理由

一  請求の原因1(雇傭契約)、2(賃金体系の改定)、及び4(退職)の事実については当事者間に争いがない。

二  右事実によれば、右賃金体系の改定は、賃金の点について原告に不利益となる部分も含まれることが認められるから、右改定については原告の同意が必要であったものと解すべきところ、(人証略)中には、被告が昭和五三年二月二一日の賃金体系変更日の二、三日前に原告を含む従業員に右改定を伝え、店の更衣室に新しい賃金体系を表示した掲示をしたが、原告を含む従業員からそれについてなんらの異議も出なかったとの部分があり、また、原告はその後改定後の賃金体系による賃金を受取ったことについては当事者間に争いがないが、原告が改定後の賃金体系による賃金を受取ったのは、(人証略)によれば、原告が被告を退職して間もなくである昭和五四年九月一〇日頃、被告に対して、旧賃金体系による賃金と新賃金体系による賃金との差額の精算を求めたこと、原告は右改定当時被告に雇傭される前からの原告の得意客に対し案内状を発送したばかりであり、しかも原告は被告から受取る賃金を唯一の生活手段としていて、旧賃金体系による賃金に固執した場合には、賃金全額の受領を拒まざるを得ず、ひいては被告を辞めざるを得ない事態となる惧れがあったことがそれぞれ窺われることに徴し、原告が改定後の賃金体系による賃金を受取ったからといって、それをもって原告が前記賃金体系の改定に同意をしたものと認めることはできず、また右の点と(人証略)に徴すると、(人証略)はそれをそのまま信用することはできず、その他に右同意があったことを認めるに足りる証拠はない。

従って、右賃金体系の改定は、原告に対して効力を発せず、被告は原告に対し右改定前の賃金体系による賃金を支払うべき義務があることになるところ、(書証・人証略)によれば、原告が被告を退職するまでに被告から支払を受けなかった旧賃金体系と新賃金体系との賃金の差額は合計八万五五〇〇円(源泉徴収をしたとすれば金七万六九五〇円)であることが認められ、(書証・人証略)中右に反する部分は右証拠に照し措信できず、その他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

三  原告は、昭和五四年八月、九月分賃金(別紙一覧表の売上げ金に対する口座料の払戻し及び報奨金を含む)合計金一五万一五〇〇円の支払を求めるので、次にその点につき検討する。

(書証・人証略)を総合すると、原告は被告に対し昭和五四年九月分賃金四万二三〇〇円から名刺代、電話代等雑費金三〇〇〇円を控除した金三万九三〇〇円(源泉徴収をしたとすれば金三万八〇七〇円)の賃金債権を有していることが認められ、右に反する証拠はなく、被告が原告にそれを支払ったことを認めるべき証拠はないから、被告は原告に対し右賃金を支払う義務がある。

次に、(書証・人証略)によれば、原告は被告に対し昭和五四年八月分賃金二六万〇九九五円(名刺代等雑費三〇〇〇円、所得税源泉徴収一万六五五五円控除済み、口座料払戻し及び報奨金を含む)の債権を有していたことが認められ、右認定に反する証拠はないが、(書証略)によれば、原告は既に右賃金を受領していることが認められ、(書証・人証略)中右に反する部分は右証拠に照し措信できず、その他に右認定を覆すに足りる証拠はないから、原告の右請求は理由がない。

また、原告は、別紙一覧表の売上げ金に対する口座料の払戻し及び報奨金の支払を求めるが、(書証・人証略)によると、右口座料の払戻し及び報奨金の支払は、毎月二〇日締切でそれから六〇日以内に被告に支払われた一定の売上げ金に対して一定の割合で支払われるものであるところ、原告において同表の売上げ金を右期限までに被告に入金させたことを認めるべき証拠はなく、原告は、被告が前記賃金差額を支払わないので右売上げ金を入金させなかったのであって、右口座料の払戻し及び報奨金請求権を取得するかの如く主張し、原告本人尋問の結果中にそれにそう部分が存するが、右売上げ金が当時少くとも金八五万三一三〇円であったことについては当事者間に争いがないところ、後記のとおり、原告はその集金後直ちに被告にそれを入金すべきであり、それを一方的に差控えることはできず、仮に原告がそれを差控えることができたとしても、右金額は前記賃金差額に比して極めて多額であり、しかも、原告が右賃金差額の支払を担保するために右売上げ金の被告への入金を差控えるにしても右賃金差額の限度とすべきであったことに徴すると、被告が右賃金差額の支払に応じなかったからといって原告が所定期限の徒過によってもなお右口座料の払戻し及び報奨金請求権を取得するとの根拠とはなりえず、その他にそれを取得するとの事実の主張、立証もない以上、原告は右期限の徒過によって右口座料の払戻し及び報奨金請求権を取得し得なくなったものというべきであって、この点に関する原告の主張は理由がない。

四  原告は、被告が原告を不当告訴したことについて慰謝料の請求を求め、(書証・人証略)を総合すると、被告は、昭和五四年一一月二〇日、大阪地方検察庁に対し、原告が別紙一覧表の売上げ金(但し斉藤の分については金四万八五九〇円)を横領したとの被疑事実をもって原告を告訴したこと、原告がその取調べのために検察庁に呼び出され取調べを受けたこと、原告はそれにつき起訴されなかったことが認められ、右認定に反する証拠はない。

ところで、原告がその顧客に対する被告の売上げ金合計金八五万三一三〇円を集金して被告に入金しなかったことについては当事者間に争いがないが、(書証・人証略)中、原告が右売上げ金を横領したとの部分は、(書証・人証略)に照し措信できず、その他に右横領の事実を認めるに足りる証拠はない。

しかしながら、(書証・人証略)を総合すると、原告は前記のとおり昭和五四年九月五日頃被告に賃金差額を請求し、他方被告は昭和五四年九月二二日原告に対し原告の退職日までの売上げ代金一一四万六二六〇円の支払を催促し、それに対し原告は被告に賃金差額を支払うまで集金した売上げ金は預かる旨申し出たが、被告はそれに応じなかったため、原告は同年九月二七日被告に対し原告の被告に対する賃金債権等金七四万二五五〇円を自働債権とし、被告の原告に対する売上げ金返還請求権金八〇万四五四〇円を受働債権とした相殺の意思表示をしたが、原告はその後被告からエアポートへ来店するように告げられていたのにもかかわらず、それに応じなかったこと、原告は右相殺の意思表示の自働債権とした賃金等の額について明確な計算上の根拠を有しておらず、しかも、その額は原告主張にかかる報奨金の額を加えたとしても多額に失すること、原告には、少なくとも自ら主張する賃金差額を調査したうえ、それと集金した売上げ金との差額を被告に返還すべきであり、それが可能であったこと、被告は別紙一覧表の売上げ金(但し斉藤の分については四万八五九〇円)について、昭和五四年一〇月二二日大阪簡易裁判所から支払命令を得て、それを原告に送達する手続をとったが、それができず、同年同月一五日執行官送達によるも原告に送達できなかったこと、原告は右告訴後検察官の示唆により同年一二月一七日になって被告に右売上げ金のうち金五〇万円を支払うまでそれを支払わなかったことが認められ、右事実によると、結果において被疑事実の存在について立証が十分でないとはいえ、被告が原告に売上げ金を横領されたと考えて原告を告訴するに至ったことについて相当な根拠も存するということができ、原告本人尋問の結果中右に反する部分は措信できず、その他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

従って、右告訴が不当であったとする原告の主張は理由がないことになるから、それに基づく慰謝料の請求は理由がない。

なお、(書証・人証略)によれば、被告は、原告において既に集金済の顧客に対して売上げ金の請求をしたことが認められ、右に反する証拠はないところ、原告がそれによって顧客に対する信用を害されたとの主張にそう(人証略)はそれだけではそのまま信用できず、その他にそれを認めるに足りる証拠はない。

従って、被告が原告の顧客に対して直接売上げ金を請求したことに基づく慰謝料の請求も理由がない。

五  原告が、別紙一覧表のとおり(但し斉藤の分については金四万八五九〇円)売上げ金合計金八五万三一三〇円を集金したこと、原告が、昭和五四年一二月一七日、被告に右代金のうち金五〇万円を支払ったことは当事者間に争いがない。なお、原告が同表の斉藤の分について右の分以外に金四〇〇円を集金したことについては、これを認めるに足りる証拠はない。

原告が右代金を預かることについては被告の同意を得たとの主張にそう原告本人尋問の結果は、被告代表者河崎久子本人尋問の結果に照し、そのまま信用することはできず、その他にそれを認めるに足りる証拠はない。

ところで、(書証・人証略)によれば、原告が右代金を集金したことにより、被告は別紙一覧表の顧客からその売上げ金の支払を受けることができなくなり、また、原告は右代金の集金後速やかに被告にそれを入金すべき義務があったことが認められ、それを覆すに足りる証拠はないから、原告において右集金後被告への入金を怠っている以上、被告の右代金に対する権利を侵害し、被告に対する不法行為となるのであって、原告は被告に対し右代金額金三五万三一三〇円の損害賠償をなすべき義務がある。なお、原告が被告に対し前記賃金差額の支払を求めうるにしても、後記のとおり、原告は右損害賠償債権を受働債権とする相殺をすることはできず、せいぜい被告と協議のうえ、右代金から右賃金差額を差引くことができるにすぎず、右代金全額を原告の手許に置いたままにすることは許されないから、原告が被告に対し右賃金の差額の支払を求めうることは右結論に消長を来たさない。

六  原告が本件訴状送達により前記二の金八万五五〇〇円の賃金債権を自働債権とし、右残金三五万三一三〇円の債権を受働債権とする相殺の意思表示をしたことは本件記録に徴し明らかであるが、右受働債権は前記のとおり不法行為による損害賠償請求債権であるから、民法五〇九条によりそれを受働債権となし得ず、右相殺の意思表示はその効力を生じない。

七  以上検討したところによれば、原告の被告に対する賃金等金三九万一三七〇円の支払を求める請求は、前記二の賃金差額金八万五五〇〇円及び同三の賃金三万九三〇〇円の合計金一二万四八〇〇円及びこれに対する支払期以後である昭和五五年二月八日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は理由がないからこれを棄却し、被告の原告に対する不法行為に基づく損害賠償金三五万三五三〇円の支払を求める請求は、金三五万三一三〇円及びこれに対する不法行為の後であることが明らかな告訴の日である昭和五四年一一月二〇日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 草深重明)

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